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2018年12月19日

がん告知から5年が経ちました〜((^_−)−☆

こんにちは〜(^_−)−☆

がん告知を受けてから5年が経ちました。

がん告知から5年が経ちました〜((^_−)−☆

髪の毛もこんなに伸びました〜

あの日のことは、今でも明確に覚えています。

朝から検査の結果を聞きに病院へ~

ドキドキしながら診察室に入りました。
先生「こんにちは~!先日の検査の結果ですが、乳がんですね。手術が必要なので日程を決めましょう」
私「あっ………はい」

テレビのドラマの中だと!
夫婦や家族に囲まれて、告知される感じ……

でも私は1人でした

一応「一緒に行って~」って主人に言いましたが!
主人「会社近いから、何かあったら電話して~」
って。

きっと私も主人も、まさか「がん告知」されるなんて思ってなかったんでしょうね~

結局……告知された後は、術前検査で色んな検査室を廻りました。
主人に電話も出来ず、泣けてみたりボーっとしたり。

検査を終えて診察室に戻って……
先生「手術はいつにしましょうか?」って。

心の準備も出来てないのに、いつって言えるわけないし……

私「来月は小3の娘の誕生日と学芸会があるので、その後なら」ってだけ言いました。

そして2月5日に決まりました。

会計を終えて車に乗って、やっと主人に電話で伝えました…号泣しながら。

主人「なんでもっと早く電話しなかった」って(笑)

だってビックリしたし、怖かったし、悲しかったし……

主人に電話とか考えられなかったのが本音。

それからどうやって家まで辿り着いたかは、正直覚えていません。

主人の帰りを待って、小3の娘が寝るの待って。

主人に話しながら、泣きました(٭°̧̧̧ω°̧̧̧٭)

こんなに泣けるかってくらい。

26歳の妹が15年前に大腸がんでなくなっているので、心の整理がなかなかつかないかと思いました。

でも数日経つと、あんまり考えなくなりました。

たまに思い出して涙……

でも日々の生活をこなす事が出来ていました。

手術日の前日に入院して、そこでどんどん怖くなってきました。

ほとんど眠れず1人個室で色々考えているうちに、朝になりました。

主人と母親が見送る中オペ室に入りました。

いつも私(笑)

ドクターやナースとユンタクしているうちに、気が着いたらベッドの上。

左むねの痛み、左脇の痛み、左の背中の痛み!
そして喉の乾き……

隣に主人がいました。

約9時間の手術の間、ずっと待機室で待っててくれた主人と母親。

きっと心配しながらも退屈だっただろうなぁ~

とか考えながら、主人の顔を見つめていました。

その時はまだ麻酔が効いていたので、痛みも弱かったんですが……

朝起きたら

もうどんな体制も痛くて痛くて!!

でもブログは書いてましたよ✌️

手術した箇所の傷を見たいけど、ナースは見せてくれなくて……

1週間くらいしてからかな~

やっとシャワーに入れる事になりました。

個室だったので、部屋についてるバスルームで。

ビックリしたのが!

ナース「扉は開けておきますね~!何かあったら声かけお願いしますね」って。

大丈夫なのに~
と思いました。

でもあとから聞いたら、胸の傷を見て自殺未遂をしてしまう方もまれにいるらしく

私は~

悲しかったけど主治医の先生と出会ったおかげで。

1回のオペで再建までできる「広背筋フラップ術」をうけたので、乳首も乳輪もないけど胸の膨らみはありました。

痛みとリハビリと戦いながら、何故か昼夜逆転した入院生活の中!!

たくさんのお見舞いと、励ましのLINEやメッセージに支えられました。

そして2週間くらいで退院✨

でもそれからが、本当の戦いでした。

今になっては、リハビリになってた洗濯物干しや家事!

家族も手伝ってくれて、無理しないよーに言ってくれていましたが。

なかなかじっと出来ない私(笑)

でもそのおかげで、左肩の可動域と右肩の可動域は全然変わりません

1週間くらい経って、抗がん剤が始まりました。

あの時の私は、抗がん剤受けるしかないって思っていました。

でも今なら勇気を出して言えます。

「抗がん剤したくな~い」って。

心身共に弱っていて、自分の考えや思いもよく分からくなっていました。

そして1週間後に、見事にツルッパゲ!

少し残った髪の毛がみっともないから、妹に頼んでバリカンで丸坊主。

それでもまだ抜けるし、かっこ悪いから!

ワックスで髪の毛を全部脱毛してもらいました。

まるで團十郎!!!

泣かなかったですよ✨

1回丸坊主してみたかったから。

4回の抗がん剤治療終えて、仕事に行きたくて帽子を被って行ってみましたが………

接客はもちろん1時間居ることもできないくらい体力が落ちている自分にビックリ。

その時初めて抗がん剤の恐ろしさを知りました。

結局……………

1年近くは元気な日とダルい日が続き、ちゃんと仕事は出来ませんでした。

精神的に辛い1年でした。

でも成長出来た1年でもありました。

私は誰にも必要とされてないんじゃないか……

前のように元気な私に戻れないんじゃないか……

そう思いながらも。

今の私があるのは家族をはじめ、お店を守ってくれた妹……

そしてお店のお客様や、出会った沢山の人の優しい言葉かけや思いやりがあったからだと思っています


本当に感謝してます!

ありがとうございました(๑°꒵°๑)・*♡



5年経過したので、一応卒業にします!

勿論…検診には行きますよ~✨





ジュリアくりあ